老電車

 古い物には魂が宿るという。
 それはアニミズムを信仰する日本人だから感じる気持ちなのだろうか。
 迷信だと片付けるのは簡単だ。いや、実際迷信に他ならないのだろう。しかしながら、私にはそう感じてならない時が多々ある。

 まだ幼かった頃、地元にあった築何百年の神社で遊んでいた時に感じた、あの感覚。
 田舎の祖父の家で感じたあの感覚。
 古い材木と畳と埃とが交じり合ったようなあの匂いが、幼い私をまるで母親のように包み込んでくれた。

 昔、よく親と一緒に行った遊園地。豆機関車が目当てだった。
 ある日、毎回恒例とばかりに豆機関車へ乗りこんだ私は、何気なく豆機関車の車庫がある方面を見ていた。
 いかにも安普請な車庫の脇に灰色のシートで包まれた何かがあった。よく目を凝らすとそれは昔使われていたであろう古いタイプの機関車だった。放置されてすでに長い月日が経っているらしく、シートは所々裂け、一部は苔やカビで変色していた。
 一瞬、裂け目から突き出していたヘッドライトと目が合ったような気がして、思わず目を逸らした事を今でも鮮明に覚えている。
 その遊園地も今はもう客で賑わう事は無い。遊具達は解体される事も無く草木に覆われ、錆果、朽ちつつあるという。
 無人となった遊園地の片隅で、あの豆機関車はまだひっそりと眠り続けているのだろうか、再び走り出す日を夢見つつ。赤錆びたその動輪が回る事はもう無い。

 蒸気機関車が全廃されると聞き、見に行った事があった。
 黒煙を吐きながら坂を登ってくる蒸気機関車。最後のお勤めを無事に勤め上げようとするその健気な姿に、感動に近しい物を覚えた記憶がある。
 轟音を立てて通過していく汽車、後に続く藍色の客車達が遠くへ消えていく。紅色の夕日に染まりながら。
 後には汽車の煙と油の匂いだけが、余韻のように残っていた。

 廃墟の写真を目にする機会があった。炭鉱の閉山による集団移転で無人島に戻った島だ。
 まだ人が住んでいた頃、少しでも島に緑を増やそうと花々を植えた花壇は、雑草で埋もれていた。木製の看板に蔦が絡む。
 最盛期には数百人の生徒が勉学に勤しんでいた校舎も今はただ静かに朽ち果てるのみ。黒板に残された別れを惜しむ文字と共に。
 校庭の錆付いた遊具達は草生す運動場を見ながら一体何を考えているのだろうか。

 特に何の落ち度も無く、ただ人間の都合で捨てられていく物達。彼らを捨てざるを得ない時に労わりの言葉をかけてあげたくなるのは、何も私だけではないだろう。
 彼らは黙して語らない。一方的に呟いたとしても心の奥底で思ったとしても、それが伝わっているのかどうか誰にも判らない。結局自分の気分の問題なのかも知れない。

 古い物には魂が宿るという。
 それは、物を大切にしなければならないという事を教える為の方便なのかも知れない。
 科学が発展した現代でそのような事を考えている事自体、ナンセンスなのかも知れない。けれども、やはり、魂が宿っているのではないかと思わせられる時がある。
 そして、その魂は時として人の形をして私達の前に現れるのではないかと思えてならない時がある。そう、あの夜のように。

 あれは、西沢線の廃止が発表された前後だっただろうか。満月が綺麗な秋の夜だった。
 真夏の蒸し暑い日々はあっという間に通り過ぎ、昼間の熱が残りつつも涼風が吹いて少し肌寒かった事を覚えている。

 東海急行電鉄西沢線。山奥の僻地である西沢から、本線と接続する森里を結ぶ小さなローカル線だ。かつては鉱石輸送で栄え、ドル箱線とも呼ばれたこの線も、鉱山が閉山されてからは赤字ローカル線へと落ちぶれていた。他の私鉄ならとっくの昔に廃線となっていただろう。もしかしたら、平成の世になってもまだ生き残っていた事自体奇跡なのかも知れない。

 当時私は、あの線の電車を担当する運転士だった。乗務する車両はクモハ五〇〇、戦前に製作された古いタイプの電車だ。
 半流線型の前面に丸い窓。空調機器や運賃箱などが増設されてはいるものの、内装は木製のままだ。
 後年に改造を施されても、大正浪漫の香りは未だ衰えていない。七十余年の歴史と、夕日のような落ち着いた朱色を身に纏ったその姿は、典型的な“田舎の電車”そのものだった。
 加速すると吊り掛け式らしく、ガガガガという歯車を噛む音が振動と共に伝わってくる。
 大正生まれの老兵だが、少し乱暴に扱っても故障が少ないという堅牢さをも併せ持っていた。
 本線のどの最新型電車よりも故障が少ないと言われ、整備係からの評判も高い。
 知り合いの整備係に曰く、
「メンテナンスフリーを騙ったバラック電車なんかより、ずっとメンテナンスフリーだ」
 もちろんそれでも古い車両には間違いない訳で、運転士も扱い方に気を使う。私もできるだけ無茶な運転はしないように老体を労わるように運転しようと心がけていた。

「戸閉め、点。西沢口発車」
 景色はゆっくり動き出し、レールのジョイント音と共に尻に伝わってくる。
 西沢口を発車した電車は、昂光寺まで民家の灯りすら無い山の中を走る。
 ヘットライトの光は暗闇に飲み込まれ、鉄路のみが薄く銀色に輝く。
 西沢発森里行最終2302M列車は一両編成のいわゆる単行である。各駅のホームは三両編成まで対応できるようにはなっているものの、朝ラッシュ時でさえ毎時二本二両編成で対応できるぐらいの輸送密度でしか無い。休日の昼間は毎時一本だが、これでも大奮発といった感がする。
 昼間の利用者は少なく、いつも空気輸送。かといって本数を減らすと利用者は自家用車へと流失してしまう。そして、さらに本数を減らさなくてはいけなくなる悪循環。これは日本中の赤字ローカル線が頭を抱えている共通の問題だ。そして、バス転換され、そのバスすら何時の間にか廃止されてしまう。
 投資と利益のバランスが取れてさえいれば、たとえ本数が一日一本だろうが平日昼間に運休しようが若干増結のタイミングがおかしかろうが、少なくとも会社としては問題など無い。しかし、西沢線の場合はどう見ても利益より投資の方が超越しているであろう事は、経営の素人である私でも容易に想像し得た。

 踏切の光と音が遠く後方へと去って行く。
 エアタンクから空気が漏れる音がし、ブレーキシューズが車輪に接する。金属同士が擦れ合う音がする。後方へ飛んで行く架線柱の速度が緩む。速度計の針も少しずつゼロへと近づいていた。
 朱色の電車は森を抜け田園地帯へと姿を表す。暗闇の中に疎らに輝くのは、街頭や民家から漏れた明かりのみ。漆黒の闇の中にぽつんとホームだけが浮かんでいるように感じられた。
「場内進行、昂光寺停車」
 電車は唸るようにしてホームの端に停まった。小型の車両にしては若干大げさな音を立ててドアが開く。微風が車内へと入ってくる。
「昂光寺停車。十秒早着。戸閉め、滅」
 申し訳程度に指差点呼する。ワンマンバスから流用した運賃箱が音を立てて動き出すが、それに運賃を入れる者は一人として居ない。
 何気なく私はバックミラーを見た。白色の蛍光灯が無人のロングシートを照らし出していた。ホームにも人影すら無い。これでは回送と変わらないではないか。
 まあ、たしかに、最終電車はこんな感じだろう。しかし、問題は平日のディタイムもこれと同じぐらいの輸送密度でしか無いという点だ。これでは不採算路線にもなる訳だ。
 前々から噂はあった。この線が廃止になるという噂だ。
 今までは本社の経営が順調だったという理由で廃止はされなかった。本線を含めてトータルで収益が得られれば良いという考え方が上層部の主流派だった。ところがバブルが崩壊する。日本中の企業がそうであったように、東海急行電鉄もバブルに溺れ、多額の負債を背負う事となってしまった。結果、不採算路線の廃止などを含む経営合理化を進めなければならない状況となってしまったのだ。
 不採算路線の廃止、おそらくこの西沢線が真っ先に廃止されるのだろう。口に出さないまでも誰もがそう思っていた。
 事実、電鉄本社は真っ先に西沢線を始めとする複数の不採算路線廃止を発表し、あっという間に各地の赤字ローカル線を切り捨てていった。
 もちろん代替は関連会社の東電バスが担った。各地の市町村もコミュニティーバスを走らせている。一部ではバスになってから便利になった市町村がある一方、利用者減に歯止めがかからず結局毎時一本のダイヤから日に三本程度にまでされてしまった所もある。西沢線は結局後者への道を歩む事となるのだが、それは未来の話。当時の私にそれが判る筈があろうか。

「戸閉め、点。出発進行。昂光寺発車。定発」
 次はとみや、富屋です。口元につけられたマイクに向けて小さく呟いた。その放送を聞く者は誰も居ない。
 漆黒の闇をヘッドライトが切り裂いて行く。
 赤い点滅が近づき、そして後ろへと去って行く。車内にはただ、吊り掛けの重低音だけが響いていた。
 漆黒の闇は永遠に続くかとも思えた。暗闇の中、二本の銀色の線だけがただ続いていた。
 ふと、視界の隅で何かが動いたような気がした私は、前方に気をつけつつバックミラーを覗いた。瞬間、思わず非常ブレーキをかけそうになった。
 バックミラーに映っていたのは少女だった。少女が一人、ロングシートに座っていた。桜色のワンピースに赤色のロングスカートを身に纏って。
(おかしいな、たしか昂光寺発車時には誰も乗っていなかった筈だが……)
 そう思いつつも、電車は鉄橋へと差し掛かる。レールと車輪が奏でるリズミカルな音が俄かに大きくなる。
 富屋はこの鉄橋を渡り終えた場所にある。分岐器を制限速度ギリギリで越え、停止線より少しはみ出して停車した。
 先程の少女をもう一度確認しようと振り向いた瞬間、また私は驚いた。何時の間にか少女は運転席のすぐ隣へと来ていた。
「君、こんな時間に出歩いていちゃダメでしょ。塾が遅くなったの?」
 不審に思った私は少女に声をかけていた。本来ならばこの時間帯に出歩いている子供は補導対象となる。この駅が有人駅ならば駅員に預けるべきなのだろうが、西沢線は起点の菜手川と終点の西沢を除いて全駅無人化されてしまっている。富屋は列車行き違いの為に比較的最近まで有人駅だったのだが、自動閉塞になってから無人となってしまった。ポイントも操作の手間のかからないスプリングポイントだ。
 駅舎は残されているものの、その明かりは無く、駅員室は閉鎖されてしまっている。唯一明かりが点いているホームにも人の影は無い。
「…………」
 少女は黙っていた。
 間近で見ると実に物静かな少女だな、という印象を受けた。そして服装に目が行く。ロングスカートだと思っていたそれは、朱色の袴だった。大正時代の女学生を彷彿とさせる服装だった。
 もしかしたら、剣道のお稽古にでも行っていたのかも知れないな、そう私は解釈した。

「…………」
 少女は黙ったまま、一点を見つめているようだった。
「……ああ、これかい?」
 運転台を指差すと少女は小さく頷いたように見えた。
 なるほど、最近の電車は運転席にカーテンがしてあったり壁になっていたりしてなかなか見えないから、物珍しいのだろう。
「これがマスコンで、こっちがブレーキ。マスコンはこっち側に回していくと電車が動くんだ。車で言うならアクセルみたいなもんかな。で、ブレーキはこっちに回していくとブレーキがかかるとまあ、そういう感じだね。この足元にあるのは警笛で――」
 あまり見ない子だし、もしかしたら都会から来た子なのかも知れない。そう思った私は少女に対して運転台の説明を始めた。幸い、停車時間にはかなりの余裕がある。列車交換をしていた頃の名残だろうか。
 昔は富屋で上り下り各列車がすれ違いをしていた。そのすれ違い風景も、今では朝ラッシュぐらいでしかお目にかかれないのだが。
 一通り説明を終えても少女は、
「そう……」
 とだけしか答えなかった。
 なんと無口な少女だろう、朝に乗せる小学生達はもっと騒がしいものだが、一人で居る時はこうも無口になるものだろうか。それとも都会の子はこの少女のように無口なのが普通なのだろうか。

 やがて発車時間になる。危ないから座っていなさいと忠告するが、少女はそこを動こうとしなかった。たしかに、下手な説明を聞くよりは実際に運転して見せた方が面白いだろう。
「出発進行。戸閉め、点。富屋発車、定発」
 いつもより少ししっかり点呼する。
「ご乗車、ありがとうございます。次はもりさとそうごうびょういんまえ、森里総合病院前です」
 車内放送にも若干気合が入る。さて、少女の目には格好良く映っただろうか。
 歯車がかみ合う音が響く。電車は軋みながらゆっくりと走り出す。
 緑色の光は後方へと流れて行き、電車は再び深い闇の中へと進んで行く。
 電車は急カーブを渡り、県道の脇へと顔を出す。
 県道を走る車も疎らだが、民家も増えてきて終着駅へと近づいている事を印象付けされる。
 やがて電車は明かりの無いホームを通過する。かつては近隣高校への通学客で賑わっていたらしいのだが、少子化の煽りを受けて高校が統廃合となり、この駅も利用者減から数年前に廃駅となった。廃止された当時は普通列車でもその大部分が特別通過していたらしい。
 今では駅名板も取り払われ、荒れ果てたホームだけがヘッドライトに照らされる。沈黙を守ったまま静かに佇んでいるその姿はまるで幽霊のようだった。
 もしかしたら西沢線もこういう風になるのかも知れない、そう私は思った。
 レールは撤去され、残ったバラストも土へと還って行くのだろう。やがて草生し風雨に侵食され、遺された遺物も徐々に朽ち果て、人々の記憶からも忘れ去られていくのだろう。
 ふと、隣に居る少女に目を向けた。
「…………」
 少女は黙ったまま、運転台を見ているようだった。その顔が少し悲しげに見えたのは、果たして気のせいだろうか。
 もしかしたら、同じ事を考えているのかも知れない。視線を線路に戻すと、赤錆びた線路が見てたような気がした。
 せめて、この車両だけは保存されないだろうか。そんな事を思いながらノッチをゼロに戻す。
 終点の西沢駅と共に静かに佇むクモハ五〇〇。……いや、静態保存とは名ばかりで、雨曝しの上放置した挙句、結局解体してしまうというケースも多々あると聞く。もし手入れもされずに赤錆びた姿を晒されるぐらいなら……そう考えると、この辺りで引導を渡しておいてやる方がこの車両にとって幸せなのかも知れない。
 ブレーキをかけられた電車はゆっくりと家々の軒先を掠めて行く。遮断機も無い踏切が連続する。
 保存されるのなら、欧米のように、愛情を持って大切に保存されて欲しいものだ、そう私は願っていた。
 家々に隠れるように小さな駅が見える。総合病院の脇に作られた小さな駅だ。西沢に住む老人達の多くはこの総合病院までこの電車で通っているのだが、さて、この線が無くなった後、あの老人たちはどうやってこの病院へ通うのだろうか。バスはステップがあって足の悪い老人に不便だと思うのだが。
 そう考えながらブレーキ操作に入る。横に居る少女を倒さないよう何時に無くブレーキングに気を配る。
 電車は滑るように駅に停まった。
「森里総合病院停車、一両。戸閉め、滅」
 ドアが開く。振り向くと、蛍光灯の白い光が無人の車内を照らし出していた。
 ホームに人の影は無く、ただ微風だけが静かに通りすぎていく。
「……がとう……」
 風に乗って、鈴のような声が聞こえた気がした。
「大切にしてくれて……ありがとう……」

 西沢線は次年度の三月一杯で廃止となった。
 廃止一年前から序々に乗客の数が増えていった。西沢線の廃止を聞きつけて日本全国から駆けつけた人達だった。
 最後のダイヤ改正では列車増発、富屋での列車交換が復活した。編成数も増え、臨時に応援の駅員や乗務員が本線からやって来た。その賑わい様は往年の栄光の日々が復活したかのようにも思えた。
 同時に様々な問題も起きていた。西沢駅では駅名板が盗まれるという事件が起きた。沿線にはカメラの砲列が立ち並び、俄かカメラマン達が停めた車が県道に長い列を作り、渋滞を発生させていた。カメラマンが線路の中に侵入し、危うく轢かれそうになったという事件も起きた。
 良い事もあった。沿線の人々が、自分達はこの線が好きだったという事を自覚できたのだ。
 人は大切なものを失ってから、その大切なものがいかに大切だったか気がつく。そして気がついた時にはすでにその大切なものは無い。何も、西沢線に限ったことではない。人間の困った習性の一つだ。
 沿線自治体は、駅と車両を保存する事を決めた。すぐに保存会が発足し、定期的にメンテナンスを実施する運びとなった。
 西沢線廃止後数ヶ月経って、人々は再び西沢駅へと集まった。クレーンで線路に下ろされたのは、あのクモハ五〇〇だった。線路に下ろされたクモハ五〇〇は集まった人々によってゆっくりとその安住の地へと押されていった。押されていった先、かつてのホームの上に新しい屋根が設けられていた。保存という名の放置ではなく、愛情を持って保存しようと決まったのだ。
 保存会の一部では、線路を延長し、動態保存しようという動きもあるらしい。鉄道発祥の地であるイギリスではよくそういった保存鉄道があるらしいが、日本ではあまり例が無い。今はまだ夢話だが、彼らのやる気によっては、近い将来に実現するのかも知れない。
 西沢駅構内は若干改装され、現役当時の面影を残しつつ、ちょっとした記念館となっていた。
 静かな駅で、時々小鳥や子供達と戯れながら静かに佇む。そういう老後も良いかな、そう私は思った。

 あとで聞いた話になる。
 クモハ五〇〇の主任設計者はこの電車の設計中に大切な娘を交通事故で亡くしており、代わりにこのクモハ五〇〇を我が子のように可愛がっていたそうだ。亡くなった娘さんの歳を知った私は、真っ先にあの少女の事を思い出した。
 あの少女が誰だったのか、今でも判らない。もしかしたらただ単に無賃乗車の不良少女だったのかも知れない。しかし……。
 そんな事を考えながら、ふと、上を見上げる。永遠に続いていくかとも思える、吸い込まれそうなほどに蒼い空が広がっていた。
 機会を見つけてまた来よう。そう思いながら、私は日に三本しか無い代替バスに乗り込んだ。

あとがき

 作中に登場する色々なものについて、モデルについては判る方には判ってしまうかと思います。西沢線はどう見ても名鉄600Vです。本当に(ry

 今回、「擬人化を小説でやるとこんな感じかしらん?」とか思いつつ執筆しましたが、いかがでしょう?
 とりあえず、モ510擬人化を意識して、朱袴履かせてみましたが……さて?

 ここ近年、低環境負荷という追い風にも関わらず、地方のローカル線がどんどん廃止されています。原油高の影響か、非電化ローカル線がその中心のようです。
 廃止が発表されてから訪れるのでは、遅いのです。葬式鉄するぐらいなら、廃止される前から時々でも乗り鉄するようにしたいものです。