ある鉱夫の話

 闇と静寂に包まれ、地底の迷宮と化した坑道。目を開けているのか閉じているのかすら判らない。
 黄泉国のような世界に取り残されてから、一体どれだけの時間が経っただろうか。漆黒の世界に横たわる男に、それを教える者は誰一人居ない。
 他炭鉱での事故は、仲間内でよく話題にはなっていた。中小零細炭鉱が多いこの街では、年に何回かは炭鉱事故が起きる。しかし、男にはどこか他人事のように思えていた。
 男が末端の坑道で亜炭を掘っていたその時、砂煙と共に、地上へ続く根元の坑道は崩れ閉ざされた。辛うじて崩れず残った末端の坑道に、男は取り残されたのである。
 最初のうちは、耳を澄ませば男の名前を叫ぶ声が聞こえた。亜炭の炭層は深くても地下一〇〇メートル程度。場所によっては足音も聞こえる。しかし、今ではその声も聞こえない。

 自分は、このまま死んでしまうのだろうか。漆黒の闇に食われながら、男は思った。墓穴を掘る手間が省けて良いかも知れない。それも給金の内だ。
 給金は出来高制だった。とはいえ、一般的には普通の職業と比べてずっと良かった。テレビや冷蔵庫、洗濯機も買う事ができた。良い酒も沢山飲めた。
 酒の味と共に、女の笑顔が思い浮かぶ。近く結婚すると約束した、恋人の顔だ。女の後ろには木製の櫓が乱立する田園風景。見慣れて何とも思っていなかった故郷の風景が、今の男にはとても愛惜しく感じた。

 男は女の手を掴もうとした。その手は空を切り、女は闇の中へ消えていった。残された男は、再び黄泉国に居た。
「このまま死んで……なるものか……」
 最後の力を振り絞って、男は出口を探し始めた。測量もせずに適当に掘り進めた坑道だ。もしかしたら、他の坑道と偶然繋がっているかも知れない。そうでなくとも、地上へ続く割れ目を見つけたら、もしかしたら這い上がれるかも知れない。
 正にその時だった、前に一筋の光が見えたのは。
 幻などではない。眩いばかりの温かい光が、確かに坑道を照らし出している。その縦穴は地上まで続いているようだった。
 その事実に、男は高揚した。飛ぶように駆け出し、光の向こうへ這い上がる。  アーク灯を何百個も集めたような眩い光に、男は包み込まれた。
 白銀の世界が色付けされていくと同時に、田園風景が見えてくる。しかし、そこは男が知る故郷ではなかった。櫓は一つとして無く、田畑を立派な道路が横切っている。
 亜炭色の道路には、自動車が絶えず走る。木炭の煙は無く、矢のように駆け抜けていく。

 雨が降った後なのか、地面の僅かな窪みに水溜りができていた。
 水溜りに男の影は無く、ただ高く青白い空だけが映っていた。

あとがき

 これは、以前書いた「廃坑」の続編を意識して書きました。そのため、「廃坑」と同じく、亜炭鉱というちょっと特殊な炭鉱が舞台です。

 亜炭は石炭と比べて比較的浅い場所に分布していたため、中小零細炭鉱が乱立しました。中には順法精神が欠如している炭鉱もあり、採掘が禁止されている場所(学校や鉄道線路の下など)で乱掘を行っていたり、閉山時に休山扱いにして埋め戻しを行わなかったり……。
 廃坑を書くにあたって、御嵩町で調査を行いましたが、なるほど、産廃処分場問題について日本で初めての住民投票を行えたのには、こういった歴史的経緯の影響もあるのでしょう。そう考えると、御嵩町は歴史から学ぶ事ができた稀有な町とも言えるのかも知れません。
 中仙道みたけ館の職員さん、中学時代の総合的な学習の時間には大変お世話になりました。ここにお礼申し上げます。

 推敲前は、視点が一人称と三人称主人公目線と三人称作者目線の三つが混ざっていたので、三人称の「今は昔、男ありけり」みたいな形式に変更しました。
 ついでに、問題の冒頭部分は、あまりに説明文的すぎるので、カットしました。説明文は説明文と気付かれないようにあちこちへ紛れ込ませたつもりですが……さて?